タイトル
 ■トップページ ■サイトマップ  ■メール  ■相互リンク
トップページ>為替相場事件簿トップ>プラザ合意




アフィリエイト
オンライン証券
モビット


ページビューランキング

歴史的な協調介入
為替相場があまりに急に変動し、ある国にとって打撃となった時に、その国が自国の利益のために、相場をコントロールしようと為替市場に介入する事があります。それが「単独介入」です。
しかし、あまりに相場の動きの力が強く、もはや一国の介入では追いつかず、しかもその相場の動きの方向が、複数の国にとってマイナスとなる時に、複数の国が協調して介入を行う場合もあります。それが「協調介入」です。
協調介入は滅多な事では起こりませんが、経済史に残る、大規模な協調介入が行われた歴史があります。
それが「プラザ合意」です。

プラザ合意の背景
1985年9月22日、ニューヨークのプラザホテルにて行われたG5(先進5カ国蔵相・中央銀行総裁会議)において、ドル高是正のため先進5カ国が外国為替市場に協調介入を行う事に同意しました。それが「プラザ合意」です。


1980年代初めの頃のアメリカ経済は長い低迷を続けていました。その頃のアメリカは激しいインフレーションに見舞われており、その抑制のため高金利政策を取っていました。その高金利につられて、世界中の資金がドルに集中しました。その結果、ドル高になり、輸出減少と輸入拡大をもたらすことになります。
アメリカは、インフレーションからの脱却には成功しましたが、莫大な貿易赤字を抱えることになります。
やがて、金利低下にともないドル相場は不安定化し、貿易赤字の増大は深刻化します。
このような背景からアメリカは、貿易赤字の減少と、ドル危機の再発の防止のため、先進国にドル高是正のための協調介入を呼びかけたのです。

プラザ合意後の為替相場
プラザ合意発表後、1日(24時間)で、1米ドル=235円から1米ドル=215円になり、20円の円高ドル安になりました。
2ヵ月後には、誘導目標であった1米ドル=200円を突破し、1987年には1米ドル=150円を割り込んでしまいました。
このあまりにも進みすぎたドル安に歯止めをかけるべく、再び協調介入が行われました。それが「ルーブル合意」です。ルーブル合意後、為替相場は安定を取り戻しはじめましたが、それでもドル安トレンドは長く続くこととなります。  参考 長期米ドル・円相場

日本への影響
急激な円高ドル安は、当然日本の輸出企業に打撃を与えることとなります。
日本にとって不利となるこの合意がなされた背景には、日米貿易摩擦があったためと考えられています。
そのため日本は「円高不況」の発生が懸念され、その防止のため低金利政策が採用・継続されました。
その結果、日本は多くの資金が流れる過剰流動性となり、不動産や株式への投資・投機が過熱し、「バブル経済」へと突入していくこととなります。
そして、90年代に入るとバブルは崩壊し「失われた10年」とよばれる長期不況の時代へと続く事となりました。

アメリカの、貿易赤字解消の狙いから行われたプラザ合意は、誰もが知る日本のバブル景気、そして崩壊後の長期不況の要因となったと考えられています。